Voice of Canary

少数派キリスト者が感じるこの国に吹く風

自民党改憲草案の第19条について

憲法では、現在、内心の自由について以下のようになっている。
「第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」
それが改憲草案では、
「第十九条 思想及び良心の自由は、保障する」となる。
法律についての見識があるわけではないが、
それでも普通に読んですぐにわかる違いがある。

 

文言の違いは、“侵してはならない”が“保障する”となっていることだ。
今の憲法の“侵してはならない”は、国家権力に限界付けをしているという意味であるが、それが“保障する”となるわけである。指し示している事柄は同じようにも感じられるが、しかしだれが“侵してならない”と言い、だれが“保障する”といっているかについて考えると、その違いが見えてくるようにも思う。
つまり、現在の憲法は、国家権力が内心の自由に踏み入ることを許さないといっているわけで、その場合には発言者は主体である国民であるとも言えるだろう。あるいは、少なくとも、「侵してはならない」は禁止令であるから、自分で自分に禁止をしているというようなことではないはずで、一方からもう一方に課されている禁止であるという見方は論を待たないだろう。ところが、「保障する」というのは、まるで自分で自分に言い聞かせるスローガンのようにも受け取れる。禁止であれば、権力者を止めることが出来るが(これが憲法の使命であると思う)、保障するとなれば、「これが保障の内容だ」という言い分けの余地を残すことになる。権力者が個々人の内心の自由に分け入る通路を確保する意図がここに見えている。この点においても、国民の自由を狭め、国家の権力を大きなものにしようとしているこの草案の意図は読み取れるのではないだろうか。